休暇16週目(16/16)終了「明日息子と何しよう」(最終回)
4月から取得した約4か月の休暇が終わる。息子と密に過ごした4か月。その足あとをこれまで15回、このブログに記してきたが、今回で最終回である。終わるからには全てのまとめを、ということで書こうと思っているが、ぶっちゃけ休暇の後半はこれと言って新しい取り組みや発見があった訳ではなく、何を書こうかと悩んでいるところである。
特筆することはないというのはある意味、自分も息子も、安定した日々を過ごしていたとも言える。前半が終了した時点で、我々にとっての当面の間の「普通」が確立されたのだ。「明日息子と何しよう」と日々考えることから始まったこの休暇であるが、特に何もしないで過ごすということが結論だったというのも少し面白い気がしている。つまりは、自分自身が不登校の子どもの課題を解決するために思い描いていた理想と現実にギャップがあったとも言える。一応自分は教員でもあるので、その理想には根拠もあったし、パッと聞いた人にはそれなりの納得感がありそうで、上手くいきそうな取り組みだと思うかもしれない。しかしうちの息子には、失敗とまでは言わなくていいかもしれないが、しっくりこなかった。今の過ごし方は2か月間、うちの息子の反応を見て、話を聞いて、心の傷の状態を想像して、これが最善であろうと導き出された答えであるので、親としての感覚的なものではあるが、根拠があると言ってもいいのではと思っている。現実を見て、息子を見て、180度、考えが変わった。
不登校の子どもは、小さくても大きくても、とにかくよく自分のことを考えているのだと思う。学校に行っていない時間、学校に行っている子どもが、友だちや先生、勉強や部活のことを考えている時間、ずーっと自分と対峙している。だからまずはその考えを聞き、理解しようとする姿勢をもったところから、どうしていこうか、という話しになるべきで、その考えも聞かずに、反応も見ずに、こうしよう、というのは今となっては失礼な話だったと思うし、上手くいく感じもしない。だから大人のペースでどうにかすることは難しい。焦りや不安もあるが、本当にそれは難しい。
何度も書いたがこの休暇で息子の不登校を解消することはできなかった。きっと今後も、すぐに解消することはないだろう。あるとしたら、3年後。高校進学のタイミングである。高校は、小中と違って学びのスタイルに多様性があるので、これから徐々に、照準を絞っていこうと考えている。それまでは、この4か月で確立した「普通」の暮らしを続け、幸せを貯め、次のステップを踏むためのパワーを溜めることに集中したい。
3年後、改めて「明日息子と何しよう」と言えるように。
毎月150件程、想像以上のアクセスをいただき、ありがとうございました。不登校の子をもつ親のみなさん、当事者のみなさん、どちらでもないけど興味をもってくださったみなさんの幸せを願っております。4か月間、ありがとうございました。
ひとまず最終回でしたが、これからも何かあれば更新していこうとは思っていますので、そのときはまた、よろしくお願いします。
明日息子と何しようかな〜
ではまた!
休暇15週目(15/16)終了「学校」
少しブログの更新が遅れていまして、ラストウィークを過ごしながら先週のことについて書こうと思います。
次男が無事に1学期を終えた。2年生の次男。幼稚園は年中から登園できなくなり、小学校に入学後、しばらく通っていたが3学期はほぼ欠席だった。今学期は時々欠席、9時から登校で、ほとんど通うことができた。再び学校に通う、ということに重きを置いた結果の、次男の気持ちとの落とし所がこの2つの条件だと思う。
Twitterでもブログでも次男が兄に抱く気持ちは何度か書いたことがあるが、兄ずっと家にいるのに、なんで自分だけ、と思うことは自然なことだろう。その気持ち(だけとは限らないが)と、2つの条件でなんとか釣り合いを取っている状態。ちょっとでもバランスを崩してしまうと一気に傾いてしまう、そんなピーキーな天秤を想像してしまう。
兄が再び登校することに関しては今は動いていない。しかし次男の登校に関してはあれこれ考えて手を尽くしている。この兄弟の動きの違いを冷静に考えると、時々自分は兄だけに対するネグレクトをしているのではという気持ちに苛まれ、自分がバラバラになるような感覚に陥ることがある。
そして同時に、自分に言い聞かせる。
『教員である自分よ。不登校の子をもつ親は、こんな気持ちを抱きながら過ごしているのだ。肝に銘じろ。』
今後、不登校の子をもつ親を、事情も分からずとやかく言うことはないだろう。
しかし親も子も苦しい。家庭を苦しめる学校とは一体何だ?そもそもなぜ苦しい?学校という存在が社会の中で占める割合は大きい。特に子どもは。だからこそ苦しいのかもしれない。
以前に比べると学校以外の受け皿は多くなったと言われているが、息子が不登校になってすぐの頃、学校は「◯◯学園へ行き、検査を受けてください。」としか言ってくれなかった。先生に聞いても誰も答えられなかった。自分たちで調べて、電話して、見学に行っては何が違う、そんなことをしているうちに息子は荒れていった。今では人に会えず、見学も、通院もできない。
最近息子が言っていた。「夏休みかあ。友達と神社にセミ取りに行ったなあ。◯◯ちゃんの家にもよく行ってたなあ。夏休みって、いつまであるんだっけ?もう忘れたな。」
そんなときも、あったね。
息子は学校に戻りたかったんじゃないかと思う。大きな存在の学校に。でも、去るものは追ってくれなかった。
次男にはなんとか、学校にしがみつかせている。正直そんな気持ちも抱いている。やっぱり、振り落とされるのは不安だよ。
なんやかんやで、大いなる存在の学校。だからこそ、頑張るのは学校。学校に行きたい、行かせたい人にとっては、受け皿、とかじゃない。学校が振り落としたものは、学校自らキャッチしなきゃ、振り落とされた人たちの中にはうちのように浮かばれない人もいる。
本当の意味での公教育、みんなの学校であってほしいと切に願う。願うだけじゃダメだね。行動しなきゃね。
それが不登校の子をもつ親として、教員として思う、複雑な気持ち。(先生たちではなく)頑張れ、学校。
休暇14週目(14/16)終了「最後の仕上げ」
さて、休暇ラスト2ウィーク。最後の仕上げにかかる。先日Twitterに書いたが、息子の幸せの貯金を畳みかけるために、息子が思う幸せなことを、休暇の最後にもう一つ実現しようという話。
https://twitter.com/nanishiyoukane/status/1676429172410060802?s=46&t=8mQqn49gbYNcrAGbMgHiqw
お風呂に入りながら聞いてみた。
私「何ができたら今一番幸せって思う?」
息子「うーん。うーーーーーーん。」
私「ちなみにパパは、寝ることと、稼いだお金で新しい家電製品を買ったときに幸せを感じるかな。」
息子「うーーーーん。特に、ないかな?」
私「(えっw)パソコンは買えたし、ねえ。」
息子「うん、パソコンが買えたことが一番幸せかな。」
やっぱりパソコンが幸せの絶頂だった!!そう考えると、かなり幸せは蓄えられてきたのかな。思い切って買ったことは、間違いではなかったかな。
ただ、学校に行かず、パソコンでゲームばかりしている、それを親が認めているというのは世間的にはなかなか受け入れ難いことだろう。だからこそ、親だけは認めよう。息子を、受け入れよう。そしてそれを続けよう。いつか花開くときを信じて。
いやもう芽は出始めてる。穏やかな息子が戻ってきた。
最後の仕上げ、ちょっと肩すかしをくらった感じもするが、成果としては、息子に対する自分自身の長期的な心構えができたこと、かな。
さて、ラスト2ウィーク、自分自身の今後のことも考えながら、息子たちとの時間を楽しみたい。
休暇13週目(13/16)終了「穏やかな時間」
休暇も残すところあと3週。先週はちょっとゆっくりだった。まあ、いつもゆっくりしてるけどね。
さて、最近の息子。ここ2週間程顔が丸いというか、表情が柔らかいというか、とてもリラックスしているように感じる。やっと足元が固まってきたかな、そんな印象だ。
元々息子は穏やかで平和主義で、おっとりした性格だったが、ここ数年は荒れていた。家の本棚を引き倒したり、物を散乱させたり、暴言を吐いたり、軽くではあるが暴力を振るったりしだしたときは本当に驚いた。どういう経緯だったかは忘れてしまったが「パパはなんでいつもそんなに偉そうなんだ!パパのことなんて信用してないから!」と言われたときはショックだったなあ。穏やかな息子がまさかこんなことになるなんて…。不安でいっぱいだった。
でも、戻ってきてくれた。本当によかった。
ただここからだと思う。まだ息子は、色々な人には会えないし、近所の店には入れない。車に乗っていて、かつての友だちが近くにいると身屈める。勉強は全く進んでいない。これらの失ったものを取り戻すのはこれから。いや、必ずしも取り戻す必要はないのかもしれない。新しいものを得るのも、いいんじゃないかな。
休暇12週目(12/16)終了「私の仕事」
さて、息子との時間を過ごすために取得した介護休暇も残すところあと4週。そろそろ自分も仕事への復帰の準備をしなければいけないと考えているところである。仕事は本当に激務。今の仕事を始めてから10年くらいは辛くて死にそうなこともよくあった。よく乗り越たなと、今でも自分を褒めたくなるし、あの頃を乗り越えてきたから大抵のことはイケる、という自信やメンタルもついたかなと思っている。
そんな中、自分でもびっくりの4か月という休暇取得。朝起きてから寝るまで息子たちと話し、ゲームをし、ご飯を作ったり、出掛けたり、自分を労り、読書し、趣味に没頭し…いい時間だ。ふと気付いた。「あ、寝る前にちゃんと歯も磨いてるし、コンタクトも外してる。」(今までやってなかったんかい!)そう、今まやってなかったこともよくあった。けど、違和感を感じてなかった。こんな当たり前のことさえ削ぎ落とされていたんだ。なんだかとてもびっくりして、仕事に復帰することへの恐怖が募ってきた。あんなに自信満々に「大抵のことはイケる」なんてギラギラして働いていたのに、自分は今、正直、不安を抱いている。
一度仕事の歩みを止めることで、今、外の世界から自分がやってきた仕事を見て恐怖している。
その仕事とは「教員」である。
私は教員。
今、何かと世間をお騒がせしている職だ。時間外労働?定時?なにそれ美味しいの?土日も仕事行きますけど?みんなそれ分かって教員になったんだろ?嫌なら辞めちまえ。迷惑だから。みたいな…。どちらかと言えばそんなタイプの教員なのだ。(ただ、決してオモテには出さないタイプ!絶対に同僚を責めたりはしない!)
だから不満があった。「なんでこんなに人の子のために頑張ってんのに、自分の子が不登校なんだ。担任何してんの?自分がやるしかない。自分だったら息子を学校に戻せる。」それが休暇を取る原点だったのかもしれない。
しかし、これまでこのブログに書いてきたように、自分の初期のアプローチは息子を苦しめることになってしまった。ゆえに目標を変え、息子を認め、信頼することで自分が変わった。この休暇で一番変化したのは自分だ。不登校というのは、こういう状況に置かれているのか。こういう精神状態なのか。理解できたなんて簡単には言えないが、少なくとも前よりは理解が深まった。
SNS上で交流させてもらっている、不登校の子をもつ方や、ホームスクールをされてる方の話しも本当にリアルで、目から鱗なことばかりだ。学校の外でこんなことが起こっているのか、何にも知らなかった、と衝撃を受けっぱなしだ。(Twitterでの交流を始めてよかった。この場を借りてお礼を言わせてください。フォロワーのみなさん。本当にいつもありがとうございます。みなさんとの出会いも、私が変化した大きなきっかけになっています。)
ある日息子が言った。「パパは、オレのことを、何かに生かそうとしてる?」その質問はもう半分「仕事のために?」って言ってるようなもんだと思った。鋭いよね。だから正直に答えた。「そうだね、息子君のように、今学校に行けなくて悩んでる人ってたくさんいるから、この休暇中に分かったことで、その人たちを助けられるなら、助けたいと思ってる。」
そう。この経験で、教員としてさらに深みが増した、と言ったら言い過ぎかもしれないが、引き出しは増えたかなとは思う。ただ、なんだろうな。なんでこんなことになっているんだろう。この世界は。子どもも大人も、みんな苦しんでる。誰得なんだろう。日本の教育は、オワコン化している。教育が終われば、日本が終わる。ただね、自分はこのままじゃ終わるつもりはない。なりたくてなった職だから。これは前々から思ってることだけど、どうにかあがいてみようかな、とは思う。
よし!残りの週で、気持ちをつくっていくぞー
休暇11週目(11/16)終了「目的」
今日は職場からお手紙が。ついに保険料が支払われるのか!?とソワソワしながら封を切ると、(別の)保険料が給料から天引きできなかったから振り込んでね、というお知らせでした。いや逆にwwwww
さて、ぼちぼちこの休暇の締めに向けて考えていきたいと思う。この休暇の目標はザックリ言うと「息子との時間を過ごすこと」だった。釣りしたり、1日黙って横にいたり、ゲームの話したり、ご飯食べたり、お風呂に入ったり…今までできていなかった、当たり前かもしれないこと。ここ最近は特に、いい時間だなあと、噛み締めながら過ごしている。息子にとっては、どうなんだろうな。どっちでもない、って感じかな。息子との関係は元々悪くなかったので、関係が良くなったというか、より分かり合えた感じがしている。
で、休暇が終わる頃には息子がどうなっていたらいいだろう。自分が仕事でいなくても、息子が自分で成長できるように、そんなことも考えながらお風呂で息子に展望を語った。「通院でメンタルを整え、自宅学習で自信を取り戻し、少しずつ社会とつながりをもつ」というような話をしたが、実際は、息子にこの話をした時点で、息子にプレッシャーを与えて苦しめてしまった。
それから自分もいろいろと感じたり考えた結果、「幸せの貯金をする」だった。次のステップに踏み出すための貯蓄だ。そもそも3年以上燃えさかる炎を4か月で鎮火させることなんて無理な考えだった。
改めて考える。休暇が終わる頃には息子がどうなっていたらいいだろう。少しでも、幸せだ、人生捨てたもんじゃない、と感じていたらいいかな。
この休暇の目的は。
息子が今後の人生において、幸せを自分で追求して、成就させることができるようにすること。
休暇10週目(10/16)終了「次男」
最近Twitterでは次男のことをつぶやくことも多くなってきた。長男(息子)の気持ち、親としての自分の気持ちが落ち着いてきたということかな。特に状況は変わってないんだけどね。
さて次男。次男は幼稚園の年長の途中から園に行くことができなくなっていた。小学校は「お兄ちゃんと一緒に学校行けるから」という次男の希望で、地域の小学校ではなく、兄の転校先の小学校への校区外通学を選んだ。委員会は兄の件をよく知っていたため、ほぼ面談もなく希望がとおった。
入学して心機一転、長男は登校できていない状態であるが、次男は順調に登校ができた。がしかし、3学期になると登校前に腹痛を訴えたりもどしたりするようになり、3学期は3分の2ほど欠席した。
次男に、学校に不安がないか尋ねると「先生がこわい」とのことだった。最近さらに幼稚園の頃の先生がどう怖かったのかが言語化できた。「ならぶときも、とにかくテンションがすごくてこわいし、どんどん横から押してくる」ああ、あの先生…なんとなく分かる気がする。
しかしまあ自分の感覚としては、そんな先生ざらにいるし、小学校にも中学校にも高校にも怖い先生なんてたくさんいた。それでも自分は耐えてきた。嫌なことがあっても、耐えてきた。小学校なんてそんなもん。人生なんてそんなもん。社会人になってからも周りに怖い人はいる。いま耐えることは大人になってから折れないようになるための訓練!訓練だ!
まじでそう考えていた。今でもその考えを全否定するつもりはない。が、子どもの頃に耐え抜いた末、心の病にならず労働し納税する大人になれるのだろうか。その保証はないし、そもそも目指しているところが一点集中すぎる。それもそう。尺度が自分自身だし、大きな話しで言えば経済活動への参加ができる大人を育成することを目的としているからだ。合う子には合うけど逆もしかり。というところで今はその考えには中立である。ただ少し思うところもあり、否定よりの中立。
話が逸れたが、次男にその考えをそのままぶつけてもいいのか。きっとノーでしょう。自分とは違う。何が違うか。『家でずっとゲームしてる人がいる。』自分はいなかった。母と祖父は家にずっといたが母はいつも忙しそうだった。祖父は自由な時間を過ごしてて「いいな〜はやくおじいちゃんになりたい」と言っていたが、それとこれとでは大きく話が違うと思う。だって絶対「なんでボクばっかり?お兄ちゃんは学校行かなくていいの?」って思うのは当たり前だと思う。
ある意味そんな、家庭的なハンデを背負っている次男。それを加味して、関わらなきゃいけない。なんとか学校に行けている、なんとか行けている時点で精一杯頑張っているし、なんなら時々休んだらいい。現に今、毎朝9時に家を出るようにしたことで、2年生からはほぼ無欠席。全遅刻無欠席。いいんじゃない。この状態で、100点よ。
学校は、命を削ってまで行かなくてもいい。行かなくてもいいという判断をしても全然いい。ただ、行けるなら行ったほうがいい。その間に、社会と向き合うぎりぎりのラインがあるとしたら、できれば自信になると思うし、難しかったらラインを下げたらいい。そこで「行かなくていい。目標を変えよう。」という判断ができたらいいと思ってる。
次男は今日も、ぎりぎりのラインで頑張っている。