明日息子と何しよう

いじめにより不登校(4年目)になった息子と過ごした、約4か月の休暇を取った親父の記録。

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休暇10週目(10/16)終了「次男」

最近Twitterでは次男のことをつぶやくことも多くなってきた。長男(息子)の気持ち、親としての自分の気持ちが落ち着いてきたということかな。特に状況は変わってないんだけどね。

 

さて次男。次男は幼稚園の年長の途中から園に行くことができなくなっていた。小学校は「お兄ちゃんと一緒に学校行けるから」という次男の希望で、地域の小学校ではなく、兄の転校先の小学校への校区外通学を選んだ。委員会は兄の件をよく知っていたため、ほぼ面談もなく希望がとおった。

 

入学して心機一転、長男は登校できていない状態であるが、次男は順調に登校ができた。がしかし、3学期になると登校前に腹痛を訴えたりもどしたりするようになり、3学期は3分の2ほど欠席した。

 

次男に、学校に不安がないか尋ねると「先生がこわい」とのことだった。最近さらに幼稚園の頃の先生がどう怖かったのかが言語化できた。「ならぶときも、とにかくテンションがすごくてこわいし、どんどん横から押してくる」ああ、あの先生…なんとなく分かる気がする。

 

しかしまあ自分の感覚としては、そんな先生ざらにいるし、小学校にも中学校にも高校にも怖い先生なんてたくさんいた。それでも自分は耐えてきた。嫌なことがあっても、耐えてきた。小学校なんてそんなもん。人生なんてそんなもん。社会人になってからも周りに怖い人はいる。いま耐えることは大人になってから折れないようになるための訓練!訓練だ!

 

まじでそう考えていた。今でもその考えを全否定するつもりはない。が、子どもの頃に耐え抜いた末、心の病にならず労働し納税する大人になれるのだろうか。その保証はないし、そもそも目指しているところが一点集中すぎる。それもそう。尺度が自分自身だし、大きな話しで言えば経済活動への参加ができる大人を育成することを目的としているからだ。合う子には合うけど逆もしかり。というところで今はその考えには中立である。ただ少し思うところもあり、否定よりの中立。

 

話が逸れたが、次男にその考えをそのままぶつけてもいいのか。きっとノーでしょう。自分とは違う。何が違うか。『家でずっとゲームしてる人がいる。』自分はいなかった。母と祖父は家にずっといたが母はいつも忙しそうだった。祖父は自由な時間を過ごしてて「いいな〜はやくおじいちゃんになりたい」と言っていたが、それとこれとでは大きく話が違うと思う。だって絶対「なんでボクばっかり?お兄ちゃんは学校行かなくていいの?」って思うのは当たり前だと思う。

 

ある意味そんな、家庭的なハンデを背負っている次男。それを加味して、関わらなきゃいけない。なんとか学校に行けている、なんとか行けている時点で精一杯頑張っているし、なんなら時々休んだらいい。現に今、毎朝9時に家を出るようにしたことで、2年生からはほぼ無欠席。全遅刻無欠席。いいんじゃない。この状態で、100点よ。

 

学校は、命を削ってまで行かなくてもいい。行かなくてもいいという判断をしても全然いい。ただ、行けるなら行ったほうがいい。その間に、社会と向き合うぎりぎりのラインがあるとしたら、できれば自信になると思うし、難しかったらラインを下げたらいい。そこで「行かなくていい。目標を変えよう。」という判断ができたらいいと思ってる。

 

次男は今日も、ぎりぎりのラインで頑張っている。